2014年06月07日
義経を迎えるため
振り返れば、歳月は風のようだ。
妹もその夫も九州の人間だ。ふたりが出会ったのは、京都の炭山という陶芸の里だった。そこで焼物の修行をしていて、ふたりは知り合った中醫保健。
妹は写真学校を経て、たまたま陶芸の世界へ入り、相手は写真家の助手から陶芸へ転向。互いに写真と陶芸という、共通の経歴をとおして話が合ったのかもしれない。
陶芸村から軽自動車に乗って、ふたりで九州に戻ってきた。それが、新しい土と暮らすスタートとなった。
工房の前の桜並木は、そのまま城址へとつづいている文具公司。
廃藩置県で城は壊されたので石垣しかない。2本の川に挟まれた険しい山上にあった城は、難攻不落の要塞ともいわれた。
伝承によると、およそ800年前、源頼朝と仲違いをした義経を迎えるため、地元の武将・緒方三郎惟栄によって築城されたのが始めという。
九州へ向かおうとした義経の船は、瀬戸内の海で嵐にあって難破。九州行きを断念した義経一行の、苦難にみちた逃亡の旅が始まる。
人はいくども戦い、ただ堅牢な石垣だけを残したのだったか激光脫毛。
何もない城跡に立つと松風がひゅうと鳴って、矢のように芭蕉の句が頭をよぎる。